2022/07/14 13:30


昔チョットだけの金属加工

金属加工については学生の頃にカジったことはありました。


その時の素材は、真鍮の加工でした。

大学の3年生で当時ボクは東京芸大デザイン科の構成デザインを専攻していました。

「構成デザイン」とは立体系デザインの基礎デザインという位置付けでして

金属以外の素材を扱っていて、木材や粘土、石材などもやらせてもらいました。

(面白かったなぁ)


この時は、レンガサイズの真鍮を渡されて

「鏡面」「ヘアライン」などの指定された仕上げを用いて構成する立体作品の制作が

その時の課題だったかと記憶してます。(多分


ねじれた三次局面の鏡面とフラットなヘアラインで構成された作品を作ったかと思います。

地味な作業を重ねて大まかな形を作っていき、ヤスリで 仕上げていく工程。

いよいよ形が見えてきてペーパーで磨きながら、いろいろ方向から眺めて

「果たしてこれでよかったのかなぁ」

などとモヤモヤしながら作業をしてました。


そして最後に「ピカール(研摩材)」で布磨きをすると

「!!!」

ちょっとため息が出る想いだったことを覚えています。

(チョーカッコイイじゃん!)


あれから半世紀以上が経ちます。



シルバーって意外と柔らかい

大人になって改めて銀細工を学ぶ機会に触れ、

あぁこんな作業も昔やったなぁ、とか思いながら最後の研摩材作業まで行き着きましたが

ボーッと作業しているだけでは「!」は訪れませんでした。


でもその中で、今回気がついたのは

「叩いて・押して・熱して。まるで粘土だな」

ということ。


例えば

『ある部分を叩くと周りがちょっと盛り上がる。』とか

『キズを修正するのに「磨き棒」で擦ると周囲と馴染んでいく。』

周囲をキズの深さまで削らないと消えない、という今までの常識で考えていましたが

周りと共に押されると次第に馴染んでいくその様子は、まるで粘土細工をしているようです。

ボクの経験則からすると、

「金属は硬く不変のモノで、より硬いもので削って成形する」

と言うモノでしたので、「こりゃ粘土?」と言うことに気づいた時は「!」が三つ以上は出てました。


そんな常識が変わる瞬間は

モノづくりの本来の目的である「完成」とはまた別の

「発見(!)」と言う喜びを得られてるんじゃないかなぁ、

なんて思います。


ぼくの制作の現場では、驚きの大小はありますが日々ちょっとした

「!」が降ってきてます。

今日も出会えるといいなぁ…)